明治39年12月10日に、神戸市歯科医師会設立発起人会を開き、翌明治40年1月31日付で県知事より設立許可を受けました。

昭和32年に神戸市7区(灘・葺合・神戸・湊東・湊西・林田・須磨)歯科医師会の会長による連絡協議会を発足させ、昭和33年5月には会員相互の交流をより深め、情報交換をするため神戸市連合歯科医師会が結成されました。

当時、神戸市歯科医師会は市内8区(東灘・灘・葺合・生田・兵庫・長田・須磨・垂水)歯科医師会の連合体であり、法人化されておりませんでした。

連合歯科医師会も神戸市国民健康保険法施行が予測され、昭和35年頃から法人化の議論がなされ、会員に対する説明会もしばしば開催してきました。

時代の趨勢として組織の確立・強化のため社団法人神戸市歯科医師会設立の要望が徐々に高まり、再三の審議を経て会員の意見を統一し申請した結果、昭和40年7月20日付兵庫県指令文第391号で設立許可となりました。

その後、行政区再編成により、兵庫区から北神地区を分離し、昭和48年8月1日に新しく「北区」が誕生、これにより兵庫県歯科医師会・兵庫区歯科医師会・有馬歯科医師会その他関係者が協議を重ね昭和48年12月1日に15名の会員で「北区歯科医師会」が誕生、次に神戸市は昭和55年11月12日それぞれの区代表者で合意書を交わし、中央区誕生と同じ昭和55年12月1日付で「中央区歯科医師会」が発足しました。

続いて昭和57年8月1日付でさらに垂水区から行政区画変更により「西区」が誕生、翌年の昭和58年4月1日付で「西区歯科医師会」が発足、現在の9区歯科医師会による神戸市歯科医師会となっております。